本質に合わないものが淘汰される時代に、旧来の“反体制の正義”はもう通用しない**
選挙の結果を見て、強く感じたことがある。
それは、「どちらが良いか」ではなく「どちらがより悪くないか」という選択に、時代が完全に移行したということだ。
自民党が大勝したのではない。
風が吹いたわけでもない。
ただ、旧来の野党が自ら形骸化し、自爆したというだけの話だ。
国民のためと言いながら、
自分たちが言っていて気持ちいい言葉を繰り返し、
揚げ足取りに終始し、
金切り声のような批判を続ける姿に、
「いいぞ、もっとやれ」と思えるほど、
今の有権者の生活には余裕がない。
求められているのはそんなことではない。
真面目にやってくれ。
現実的な政策の議論をしてくれ。
何十年も、自分たちの正義に酔いしれ、
国民の生活を置き去りにしてきた。
その結果が、今回の議席の増減として表れたのだと思う。
大雪だった前回の衆院選よりも投票率が上がった。
これは、
「もう我慢できない」という明確な意思を持った人たちが、
寒さを押してでも投票所に向かったということだ。
自民党が勝ったのではない。
旧来野党が、明確な意思をもって見限られた。
そんな選挙だったと感じている。
そしてきっと、旧来野党の党首はこう言うだろう。
「自分たちは正しい。支持は広がっている。
ただ、有権者の理解が足りなかった」と。
だが、その言葉を口にする姿そのものが、
彼らの本質をますます露呈させる。
SNS時代、形だけの“正義”はすぐに見抜かれる
SNSで誰もが一次情報に触れ、比較し、検証できる時代。
中身のない主張は、驚くほど簡単に見抜かれる。
反体制を名乗るだけの“かっこつけの正義”は、
もう通用しない。
生活者は、そんな薄っぺらい言葉に付き合っている余裕がない。
本質に沿わないものは淘汰される。
形骸化は続かない。
これは政治に限らず、社会全体に起きている現象だ。
時代は、静かに、しかし確実に変わっている
今回の選挙は、
「誰が勝ったか」ではなく、
“何が終わったか”
を示す出来事だったのかもしれない。
反体制の正義を掲げていれば支持される時代は、もう終わった。
生活者は、もっと現実的で、もっと誠実で、
もっと本質的な政治を求めている。そしてこれは、政治だけの話ではない。
本質を理解しないまま、
「正しさの演出」や「かっこつけの反論」で場をつくろうとする事業者も、
補助金や流行語で“まちづくりごっこ”を続けてきた人たちも、
同じように淘汰される時代に入っている。
SNSで誰もが一次情報に触れ、
生活者が自分の頭で判断できるようになった今、
中身のない取り組みは、政治と同じく一瞬で見抜かれる。
本質に沿わないものは続かない。
形だけのまちづくりも、
自分たちの気持ちよさだけで動く事業も、
もう通用しない。
時代は、静かに、しかし確実に、
“本質だけが残る方向”へと向かっている。
その声が、静かに、しかし確実に数字として現れた。
そんな選挙だったと感じている。
