2025年8月16日
かつて「維新」と呼ばれた変革は、果たして誰のためのものだったのだろうか。
文明開化の名のもとに、私たちは何を得て、何を失ったのか。
そして戦後、罪の記憶を植え付ける情報操作の波が、静かに教育、医療、報道の根幹を揺るがした。
教科書は、子どもたちの目を曇らせる。
医療は、本来の健康から遠ざける。
メディアは、倫理を娯楽に変え、思考を眠らせる。
この国の制度は、まるで巧妙に設計された迷路のように、私たちを「自分自身」から遠ざけてきた。
だが、私たちは忘れてはならない。
この社会が仕組まれていたとしても、私たちの「生まれてきた意味」までは、誰にも仕組むことはできない。
それは、血の記憶に刻まれたもの。祖先の祈りと、土地の声と、失われた歴史の断片が、静かに私たちの内側で息づいている。
私たちは、制度の外側に根を張ることができる。
それは、詩を書くことかもしれない。
それは、祈りを捧げることかもしれない。
それは、忘れられた物語を語り直すことかもしれない。
「役目」とは、社会の歪みに抗うための武器ではない。
それは、癒しの種であり、記憶の灯火であり、未来への橋である。
現代は、私たちが本来の姿に戻るための、静かな革命なのだ。
だから私は今日も、問い続ける。
この世界のどこに、まだ真実が息をしているのか。
この身体のどこに、祖先の声が響いているのか。
この言葉のどこに、誰かの目覚めが宿るのか。
仕組まれた社会の中で、私は仕組まれない魂として生きる。
それが、私の役目だ。