古来より、日本の伝統信仰の中に息づく神々は、多層的な意味を持ち、その姿や性格は時代や権力構造と共に変化してきました。中でも「艮の金神」(うしとらのこんじん)は、ある勢力にとっては自らの存在を脅かす対象として、敢えて悪鬼のようなイメージへと転換されることがあったといわれます。これは、単に神話上の対立を示すものではなく、権力や富が集中する者たちが、民衆や競合勢力を統制するために、伝統的な神話や歴史を意図的に書き換える傾向と重なります。
神話における「艮の金神」は、本来、世の秩序や天と地の調和を司る存在であったにもかかわらず、意図的に悪鬼としてのイメージが強調されることで、忌避される対象となりました。これは、権力者が自己の正当性を持続するために、異なる存在―つまり民衆が信仰する力や精神的自立を象徴するもの―を悪と位置づけ、統制の足掛かりとする戦略に似ています。歴史上、君、臣、民は一体となり相互に補完し合う理想が説かれてきましたが、現実は権力者による情報操作とイメージ操作によって、その理想から大きく逸脱してしまいました。
現代社会においても、オールドメディアや権力機構によって示される情報は、しばしば一方的な視点から編集され、多くの場合、民意よりも権力の都合に合わせた歴史改ざんが行われています。こうした背景には、過去において神話が変容され、あるべき統合的な歴史観が分断されてしまった歴史的パターンが暗く影を落としていることが認識されるのです。つまり、古代の神格操作と現代の歴史改ざん―いずれも真実を覆い隠し、自らに都合のよい「真実」を再構築するための手段と化してしまっているという共通点があります。
このような現状の中で、私たちは歴史や神話の真意、そして権力による情報操作の背後にある意図を冷静に問い直す必要があります。神々の多面的な表現が示すように、真実は決して一枚岩ではなく、さまざまな角度から多層的に捉えるべきものです。民衆自身が歴史の主体として、自己の内にある知恵と洞察を磨くことで、誤った権力操作に屈することなく、より健全な社会の在り方を取り戻す道が拓かれるのではないでしょうか。
現代に生きる私たちが、何が真実で何が虚構なのかを見極めるためには、あらゆる情報に対して懐疑的であったり、多角的な視点から検証する姿勢が求められます。そして、神話や伝承に学ぶ「本来の統合性」の理念を再評価し、君、臣、民の一体感を取り戻す努力が、新たな歴史の再構築に向けた第一歩となるでしょう。