成功とは、財産・地位・名誉などを得ることで、高い地位や多くの財産を得て、社会的に認められることだと考える人が大多数でしょう。
では、世の中の成功者は全員幸せなのか?といえばどうでしょうか?必ずしも成功者が多幸感に包まれた生涯を終えたという事例は歴史的にも希有なことのように思えます。
成功したいし、損をしたくない。と言う人は『自分のために生きている』だから、成功しないし、損をしている。
成功とは地位や財産、名誉など、他社より高い、多いなどの量的尺度により比較した他人が評価するものであり、自己評価で成功者とは言わないということ。
ある定量、例えば1億円の資産を持つことなどを達成しても、自己の目標が果たされた事実はあれど、成功者と認めるのは、それ以下の収入の人々であり、財閥系や富豪からは成功者とは認識されない。
自分自身で成功者と曰うほど、愚の骨頂なことはなく、他者からの評価を気にしているような輩に成功者もいない。
では、幸せはどうだろうか。
人は幸せになるために、日々を研鑽し、日々労働に励まなければいけないのだろうか?
資産がいくらになったら幸せなのか?地位がどれくらいなら幸せなのか?他人からどれだけ称賛される名誉が得られたら幸せなのか?
金や権力や名誉を追いかけて、幸せになれるはずもないのは歴史的に見ても明らかだし、私的にもそんな生き方で幸せになれる訳もない。
人は多幸感に満たされたい。と考えます。満たされたいと考えるのは、満たされていないと認識しているからに過ぎません。
朝起きて、夜寝るまでに無事に過ごせたこと。ごはんが美味しい事。すら幸せに感じれないということが幸せになれない原因です。
幸せに感じる事が出来ると人は多幸感を得られます。多幸感を得ている人に運気は廻ります。
ことわさ 笑う門には福来たる。
いつも笑い声が溢れる家には、自然に幸運が訪れる。 明るく朗らかにいれば幸せがやってくるという意味。 また、悲しいこと・苦しいことがあっても、希望を失わずにいれば幸せがやって来るということ。
人は多幸感に満たされていると、周りにも気を配りますが、多幸感が少ないと自分を心配します。
つまりは、満たされたいと思ってるうちは他者を幸せにする事ができないということです。
他者を満たしたいと思える人は自分自身が満たされている状態であり、他者を満たす事で得られるものがあります。
他者を幸せにしたものが得られるものは様々です。気持ち、食糧、モノ、そして金銭。御礼の場合もあれば等価交換という場合もあります。
何かを提供することで、何かを得られるという人類しか持たないこの仕組みにおいて、他者を幸せにするというのは人として生まれてきた摂理であり、法則でしかないのです。
もし、読者のあなたが、量的尺度による成功を望むのであれば、今すぐにやらなければいけない事は、『自分が何を世の中に提供して幸せにするのか』といす、サービスや商品を持つことです。なぜなら『提供できる、求められる商品、サービスも持たずに世の中は満たせない、また自分自身も幸せにならない』からです。
人は生まれながらに使命や役割を持っています。現世で生命を得られたという理由だからです。
他人と比べることは出来ません。比べる必要が無いからです。
役割をもつ私たちは唯一無二の存在であるので、ただひたすらに役割を果たす事を考えればいいのです。
それぞれが他者の幸せを望み、世の中を幸せにするために役割を果たすことで自分自身も幸せになる。これは本来の摂理であり、法則であり人が生まれてきた理由なのです。
財産や権力、名誉は自分自身が励んだ結果であるが、世の中を満たしたのかどうか?という点では『生まれてきた使命を果たしたのか』が重要になってくる。
成功したいなら、幸せを後回しにするしかない。幸せになりたいのなら世の中を満たすしかない。世の中を満たしたら、金銭に困らない生活が出来るのが現代社会の仕組みであるだけなのですから。